平昌

今日はパラリンピック視覚障害者のアルペン競技を見ていて、泣いてしまった。


スラロームの競技だったのだけど、学生時代の自分を思い返して恥ずかしくなった。

自分自身目で見えているからか細かいセットや急斜面にぶち当たると滑ることが出来ないとすぐ諦めてしまうのに、今見ているハンデがある人たちは見えないことを言い訳にする事なく、諦めずに果敢に攻めていた。

見ていて素直に凄いと思ったのと同時に、すぐに諦めてしまっていた自分の不甲斐なさを恥ずかしく思った。

 

そしてオリンピックやパラリンピックはスポーツ観戦としてのものだけでは無く、実生活の中でも起こる「できる」「できない」や「やる」「やらない」の選択をいかに蔑ろにしているか、考えさせられるものだな〜と28歳にしてやっと気が付いた。

毎日毎時間人の行動は二択で決まる。

「やる」か「やらない」か

それはトイレに行くのも、ご飯を作るのも、出かけるのも全てについてくる。

余分なものがくっ付いてしまっている私たちには

色々な理由が付きまとい「面倒だから」「忙しいから」と「やらない」を選択してしまう事があるけど、シンプルに余分なものを落として行くとそうじゃなく、一択になると私は思う。

「やる」しかない。

後回しにしても、結局やらないとならないものは残っていく。結局は「やる」しかない。残らない。

 

今回の特にパラリンピックを見ていて本当にそういう思いが強くなった。

そしてそういう思いが強く一途になった人は強い。と思った。