胆振東部地震
朝の3時に目が覚めた。
寝返りを左にした瞬間、カタカタと音がして大きな地震がきた。まだ半分以上夢見心地だったので夢か現実か分からなかった。揺れは長くて、後半は死ぬな〜これ。と思った。
だけど残念死ねませんでした。
絶対なんか割れた。と思ったら、食器棚が開いて、干していたコーヒー殼がひっくり返って
テレビや扇風機が倒れ、トイレタンクの水が溢れて、その上にトイレットペーパーが散乱していたくらい。
とりあえずテレビをつけてから、30分後
停電スタート。水はまだ出るので、浴槽に水を溜めて、ブレーカーを落とす。
さて、どうしよう。と思ったけど
学校は休みになったし、テレビも見れないし
ラジオも無い。ケータイの充電は減らしたくないから、揺れは怖いけど二度寝開始した。
目が覚めて、とりあえず朝ごはんは冷蔵庫にあるカレー
それから午前中は色々な人と連絡を取り合いひとまず安心。そしてテスト勉強をした。
ガスもいつ止まるかわからないので、米を三合炊いた
冷凍庫からサッと出した銀ジャケでおむすび6つ
とりあえず出来立てひとつをお昼にいただく。
電気は無いけど、ガスと水道は使えるので不便さは無く
ただ光源がロウソクのみなので、危ないから兄がランタンを貸してくれた。
可愛い。
こいつのホヤを磨いたら絨毯が黒くなってしまったのだけど、夜になると磨いて良かったなって思うくらい綺麗で、暖かくて、ホッとした
ランタンを見ていたら
一緒に行った兜沼のキャンプを思い出した。
楽しいな〜と思って
日記を書いたりオヤツを食べたりしていたけど、寝る前になればやはり心細さからか不安からか、みゃんちゃんのことを沢山思い出してた。
キャンプのことも庭焼肉のことも。思い出したらホロホロきてしまって、あー寂しいーって口から出た。暫くたつと
でもな、生きてたってこんな地震が来た日には、非常呼集がかかって、お家には居ないし、今と変わらず一人心細くいるのだろう。と思う。とりあえず気持ちはおさまって
ゆっくり眠れた。
次の日は7:30?ほぼ8:00までぐっすりだった。
前の日は15:30〜23:30まで寝て
夜は1:00〜8:00
電気の音も、車の音も無いから、本当にテントの中にいるみたいで気持ちよかったんだな〜って思った
おかげ様で、視界はクリアで色も文字も綺麗に見えるようになった。
それから避難所確認と、携帯の充電をしようと思って外出。
区役所とサンプラザで充電するも足りず( ´・‿・`)
写真は学校のそばの交差点
沢山の人がふらふらと彷徨う姿はゴーストタウンのようだった。充電は出来たが、区役所では一人五分、サンプラザでは人の携帯を触って残り何%か見る人がいたので十分。とりあえず充電が50%にはなったので、特に買うものもなく帰ることにした。
我が家の近くの無人のアパートは外壁がぼろぼろだった。
その後、電気が復旧した同級生の家に行き、携帯を満充電にさせてもらった。テレビを久しぶりに見たら、公衆電話が無料と出ていたので、アパートに戻る帰り道に公衆電話から父に電話した。
稚内も札幌と同じ、電気が復旧しないらしい。
「がんばろうね!」と励ましあって、公衆電話もたまには良いな。と思った
帰ると17:00、アパート未だ電気戻らず。
夜は最後のカレーとオニギリとウィンナーとトマト
今日電気が戻らないと、冷凍庫の中がまずいな〜と思って
19:00 隣のアパートから家電が鳴りまくる音が聞こえ、電気がついている。
我が家も〜いよいよ〜〜とブレーカーを上げると眩しい灯り。
今回初めて被災したけど
ガス、水道が使えたので、生活は出来たがやはり備えは必要だと思った…
買わなきゃ買わなきゃと思っていた、懐中電灯とラジオ、あとはコンロ。はやっぱり必要だった。あとは携帯の充電用にバッテリーも。携帯は無くてもいいが、もしもの為にあった方がいいと思った。
水や食料は前日の台風の為に備えいたからよかったけど、普段から忘れないようにしないといけないと思った。
電気は死んだけど、相変わらず使えたガス、水道会社の人には感謝だし。
期間は長く感じたけど、数えたら丸一日電気が無かっただけで、北電にも感謝しかない。
普通に生活できるありがたみが身にしみてわかったし、電気がないと静かで、急かされる予定もなくなるので長閑で良いなぁ。改めて一度キャンプに行きたいな。と思った( ´・‿・`)